こんにちわ。トラジロウです!
ARTコンサルティングの吉住氏から転職オファーを受けた私。
その条件は現状と比較して破格の好条件でした。
私はかなり迷っていました。
その後数日間が経過しました。
契約金額全営業所トップ再び
月が変わり前月の営業成績が正式に発表されました。
私は再び全営業所で月間契約金額トップの座を獲得しました。
先々月は超高額案件の松本邸の契約によりダントツのトップでした。
そのわずか2カ月後に再びトップに返り咲いたわけです。
月間トップになったからといって何かもらえるわけではありません。
報奨金も表彰状もありません。
しかし月間営業成績表はイントラで公表されます。
その頂点に自分の名前があるのはやっぱり嬉しいモノです。
私は先々月同様にこの成績表を印刷し、
折りたたんでカバンに入れて御守りにすることにしました。
当時の我が社では全社員が集まるのは3カ月に一回の全体会議しかありません。
なので基本は他営業所の社員たちとの交流は少ない訳です。
ただし少人数での研修などは有るため多少は他営業所社員との接点はありました。
今まではそういった集まりで声をかけられることはありませんでしたが。。
3カ月で2回のトップを取った営業マンということで、、
「東京西のトラジロウさんだよね!
すごいね、急に売りまくっちゃって!」
といった感じで、、
いろいろな人から声をかけられるようになりました。
営業マンは数字が全てです。
その時の私は、そういった人から見れば、
何か人と違ったオーラ
があるように見られていたのかもしれません。
ようやく一皮むけたような。。
光が差し込んできたような。。
泥まみれになって何度も打ちひしがれて来たけど、
ようやく結果を出せたよなあ、長かった。。
私はこの会社に転職してから初めて安堵感に浸っていました。
久し振りに実家の母と対面
私は久しぶりに実家の母親を訪ねました。
一年前に大手ハウスメーカーを退職する際、母親は、
「せっかく一部上場企業に入ったのに何でベンチャー企業なんかに転職するの!」
と烈火のごとく怒ってしまい、、
それからずっと断絶状態でした。。
私は6歳の時に父を亡くしました。
そのため母親の私に対する思いは大変強いモノがありました。
プライドの高い母は、
例え片親でも絶対に他の家庭には負けない
と常に気をハッて生きていました。
なので一部上場企業の大手ハウスメーカーに入社した時はすごく喜んでいました。
それなのに私が中小企業へ転職したためメチャクチャ怒ってしまったのです。
そうはいってもこの頑固な母をずっと無視するわけにもいかず、
そのベンチャー企業で結果を出した私は母親に土産話を持ってきた訳です。
<私、>
「母ちゃん久しぶり!、、まあ聞けよ!
オレもちゃんと結果を出してるんだよ!
今の会社は上場はしてないけど小数精鋭のベンチャー企業でそのスジでは有名な会社なんだ!
営業マン100人以上いる中でトップを2回も取ったんだぞ!」
そういって私はカバンから自分の名前がトップに印字されている営業成績表を見せました。
しかし母親はそれを見ようともせず、
<母親>
「とにかく大きなトコにいなきゃダメなの!
アンタは世の中のことが全くわかってない!」
、と、寄らば大樹的発言を連発しまくっていました。
ホントに典型的な昭和の頑固モノだよなあ。。
その後も母親との会話は相変わらず平行線のままでした。
そうこうしているうちに時間は経過し、、
私がいよいよ帰ろうとした瞬間、
チラッと机の上に置いた営業成績表を見た母は、
<母親>
「アンタはやれば出来る子なんだけどねえ。。」
母が私に対して言える最大のホメ言葉はこれぐらいが限界かと悟った私は、
<私、>
「なんだ!母ちゃん!
わかってるじゃん!
オレもやればできるんだよ!」
最後に母親が玄関越しで、
<母親>
「とにかく一度挑戦したのなら長く続けなきゃダメよ!
継続は力!とにかく今の会社を極めなさい!」
そんな感じで久しぶりに訪れた母の家を後にしました。
そんな母が亡くなってから10年以上が経ちましたが。。
今でもあの時の
ちょっとだけ嬉しそうな顔
を思い出すことがあります。
心の中では自慢の息子だと思ってくれていたんでしょうか。。
決断の時!経営コンサルか?それとも?
次の日、午前中はずっと見積りを作成していました。
すると事務の杉崎さんが寄ってきて、
<杉崎さん>
「ねえ、トラさん!
すごいじゃないですかあ。。
3カ月で2回もトップを取るなんて!
遂に本領発揮ですね!」
<私、>
「ありがとうございます!
でも、、とりあえず契約を取っただけです。
工事完了させて引き渡して規定利益率をしっかり確保して、
そして歩合給(報奨金)が私の口座に振り込まれて初めて喜べます。
現段階では全て幻だと思ってます。。」
<杉崎さん>
「まあ、、確かにそうなんですよねえ。。
やっぱり営業マンって大変だわ。。
私には絶対に出来ないって思う。。」
<私、>
「人によって向き不向きがありますよね。
私は今まで設計とか現場監督とか、、
結構いろいろな部署を経験しましたけど、
やっぱり歩合給の有る営業マンが向いてるのかなって思います。
とにかく固定給で働くのはイヤなんですよねえ。。」
、と、杉崎さんとそんな他愛もない話をしていると、
ブルブルブル、、
とポケットの携帯が反応しました。
そっと覗くと、
吉住コンサル
と表示されていました。
私は静かに営業所の外に出ました。
そして電話を取りました。
<私、>
「ああ、、トラジロウです。。
すみません。。
コチラからお電話しなきゃいけないところ。。」
実は私は全く今後の展開を考えていませんでした。
私は完全に迷っていました。
<吉住氏>
「どうですか?
考えはまとまりましたか?
絶対にトラジロウさんならうまくいくと思いますし。。
何よりもトラジロウさんにすごく合っている仕事だと思います。」
遂に今の会社で結果を出したもののお金になるかはわかりません。。
最終的に利益率が下がって歩合給がもらえず、、
固定給15万だけになる可能性もあります。
一方で固定給が高いのは魅力ですがイイコトばかりのハズもありません。
<私、>
「吉住さん。。もちろん好条件だとは思ってますが、、
一方で実力主義で高年収の会社ですから何か厳しい条件だってありますよね?」
<吉住氏>
「そうですね。厳しいかどうかはわかりませんが、
弊社コンサルタント系の社員については
更新制というスタイルを取っています。
年初に各個人の目標達成シートを作成します。
そして1年ごとにそのシートを基準に査定や面接を行います。
そのシートには最低限の達成目標や数字があります。
あまりにも成果が出せていない場合は更新をストップすることもあります。」
<私、>
「それはクビってことですよね?」
<吉住氏>
「いやっ、、そんなに大勢の人がクビになるってわけではないです。
実際には10~15%くらいの感じです。
ただトラジロウさんはその最低限の目標を達成出来ないってことは無いと思います。」
<私、>
「私がクビにならないっていう根拠は何ですか?」
<吉住氏>
「漠然とした答えで申し訳ないですが。。
何となくです。
いろんな人を見て来ましたが、、
トラジロウさんは幅広い実務経験があってコミュ力も高いので。。」
その後も電話で30分以上やり取りをしました。
しかし全く決断が出来ませんでした。
本当にどちらでもいい感じでした。
もしも人生の神様が居たとして強引に
「こっちの会社で働け!」
と言われたらその会社で働いていたでしょう。
そのくらいどっちとも言えない状況でした。
しかし、ナゼか突然、、
私は昨日会った母親のことを思い出しました。
最後に母親が玄関越しで言い放ったその言葉が、、
鮮明に脳裏に甦ってきました。
「継続は力!今の会社を極めなさい!」
私はその時思いました。。
母ちゃん、今の会社への転職を認めてくれたってことだよなあ。。
これでまた転職しちゃったらガッカリさせちゃうよなあ。。
そして遂に私は決断しました。
<私、>
「吉住さん!大変申し訳ありません。
今回は辞退させてください!」
この時のことは今でも鮮明に覚えています。
本当に僅かな差だったと思います。
もし前日に母親と会っていなかったら、、
おそらく私はARTコンサルに転職していたと思います。
本当に人生って僅かなタイミングや出会いで変わってしまう。。
次回>>第73話に続きます。
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